Story

#01 ただ一人森の中で

太陽はいつでも輝きを失わない。草木は光と共に生き、風と共に揺れる。あたりまえの事だが、私のいる世界はこれが全てだった。人のいる世界と離れた森の奥に住んでいるが、人が嫌いというわけじゃない。つらい記憶を断ち切ることが出来ないだけだ。

この森で両親は見つかった。もちろん全うな姿はしていなかった。服は赤く染まり、目は見開き血走ったまま時が止まっていた。獣に食い荒らされて殆ど原型をとどめていないそれが両親とわかったのは、手に強く握られていたペンダントがあったから。今も首から下げているそれがなければ、きっと今も親が生きていることを信じ、彷徨い歩いていただろう。

暗い過去というものは、一人でいると思い出してしまうらしい。

森を歩き、適当と思われる枝を籠いっぱいにすると回れ右をして家に向かった。今日はいい枝が拾えたから良い薪を作る事ができるだろう。この調子で食料を探すのもいいかもしれない。

早足で家に帰り、使い古されたナイフを腰につける。

この森で獲物なしに歩くことは許されない。暗闇が訪れたら外に出てはいけない。これは暗黙のルールとして自分の心に刻みつけたことだった。人のいない場所では自分独りで生きる必要がある。なぜなら体が傷つけば死に直結する場所だからだ。

いつものように警戒を怠らず餌場に向かう。たいしたものは揃わないが生きていく上で必要なものは揃う。そっと木に近づき、木の実をいくつか切り落とす。それを背にある皮で作った篭に入れ、すぐに次の場所に向かう。

幾つかの場所に向かい、少量の食料を取って移動を繰り返し、全てをそろえ終わるころには日が傾きかけていた。ここから家まではそう遠くないがこの時期は夜が来るのが早い。

少し時間をかけすぎたか・・・・・・。

周囲を確認するが、どうやら危険な事は無さそうだった。安心して帰路の方へ目を移したとき違和感を感じた。何かいつもと違うものがあったはずだ。もう一度注意深く周囲へ目を向ける。

違和感の根源はすぐ見つかった。それは木につけられた獣の爪の跡だった。根元から約二メートルほど上のところに三本の爪が斜めに入っている。

ここいら一体では見たことのない獣のようだ。しかも大きい。もしかしたら人間の倍の大きさはあるのかもしれない。

爪の跡に触るとまだそれが真新しいことがわかった。得体の知れない獣が近くにいる可能性が体を震い上がらせる。まだ何も起きていないというのに恐怖心が体を侵食していく。森のざわめきが急に大きく聞こえ、今まで聞こえなかった自分の呼吸音がだんだん大きくなっていく。

恐怖心を植え付けられた体は動くことすら忘れ、銅像のように脚はかたまり、体は痺れ、動き回る目だけが視界を捉える。そして、その視界は最悪のものを見出した。

それは、全身が黒い毛で覆われ闇に溶け込むようにこちらを見ていた。

沈みかけた太陽のせいで先ほどより闇は濃く、闇にまぎれ緑に輝く目だけを光らせる。

狩られる者と狩る者。その構図が頭に浮かんだ瞬間体の硬直は消え、思考能力が回復を果たす。下手に体を動かすと襲われる。走ってはいけない。走っては・・・・・・。

時間をかけ体を動かす。腰につけた木製の小さな笛を取り出す。人間には聞こず獣だけに聞こえる音を出すそれは、獣避けとして狩人が使うものだった。

私はそれを口に咥えようとしたが、それは叶わなかった。奴は既に目の前にいたのだ。

声を上げる暇もなかった。三つの爪で傷つけられた腕から血が溢れるが、それを確認することもなく私は走り出す。

何も考えることは許されず、ひたすら走るだけだった。背から聞こえる枝を踏み葉を踏む音だけが、妙に大きく聞こえる。

私はナイフを抜くとすぐ後ろに投げる。何かがそれをかわす感覚が伝わり、それと共に殺意に等しい感情が私を威圧する。

――殺される。

私はひたすら走った。何処をどう走ったのかさえ覚えていない。気が付けば開けた場所で大きな岩を背にそいつに追い詰められていた。

体のあちこちから血が流れ出し、呼吸が荒くなり視界が霞む。

膝の力が抜け、岩に背を預けるようにして倒れた。もうどうでも良くなった。目の前にある三本の爪がスローモーションで動いて私を切り裂こうとしている。モノクロになった世界で私は知らない風景を見た。砂と大きな十字架と赤い鎖。それが最後の情景となった。

 

血が岩を赤く染めていく。血で染まった岩のある場所には、屍となり血を噴出すだけの肉の塊が転がっている。獣はそれをじっと見つめていたが、興味を無くしたように背を向けて歩き出した。狩った獲物を食べるでもなく、ただ殺しを楽しんだ獣はもう一度振り返ると森の闇へ消えていった。

残ったのは静寂と森のざわめき、そして血で染まった大地だけだった。

風が森のざわめきを重ね、月明かりが開けた大地を射す。神秘的とも言えるその場所で、人間の死は岩に変化をもたらした。

赤く濡れた岩はうす青く光り、まるで心臓のように鼓動を始めた。

岩にこびりついた血は文様を描きはじめ、ゆっくりと岩全体を埋め尽くす。

文様は岩の鼓動と共に光り、その光は鼓動の回数に合わせる様に増していき、やがて闇の中で光が満ちた。

光は柱となり天を貫き、そして忽然と消えていった。

光が消えた場所で残ったのは、森のざわめきと死臭。そして、干からびた死体だけだった。

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copyright 紙月 狐 [ namegh@hotmail.com ]