Story

#03 知識への狂気と、命の猶予と

開かずの扉がある。周囲の壁と同化したそれは、地位にある人物にしか開けない。小さな鍵穴が向こうとこちらをつなぐ唯一のパイプであり、それ以外に部屋へ入る方法は無かった。

部屋は周囲を石の壁で囲まれ、空気は冷たく張り詰めている。広さは一辺が十メートル位の正方形で、本棚だけが開かずの扉を見下ろしている。

古文書達は禁止棚と呼ばれる揺りかごの中で読み手を待ち、朽ち果てるまでその場を動けない。その理由は古文書達が国家の秘密を明示し、世に隠された事実を書き表した物だったからだった。

しんと静まり返った暗い部屋で、手元の明かりだけを頼りに1人の老人が一心不乱にページをめくっていた。暗い眼を左右に揺らし、男は壊れた笑みを浮かべる。頭がはげ、深いしわを顔に刻み、逆三角形の目を持つ老人は目を細めて最後のページをめくり終えた。

感嘆とも取れる深い吐息をつくと、本で得た知識を思い出し満足そうに頷いた。

国で唯一自分だけが知識を得ることが出来る優越感が、頭の先から足のつま先まで駆け巡る。

これこそが私の望んだものだ。

目の前に読み終えた本を丁寧に本棚に戻すと、男は緩慢な動作で部屋を出る。

人のいなくなった国立図書館は静寂に包まれ、老人の足音だけが館内に響く。火を扱うことのできない館内は暗く、手元にあるか細い光と月光だけが館内の闇を和らげてた。

老人は立ち止り、格子越しの月を見てふと考える。

あの月を私が支配することは不可能であろう。しかし、館長である私には特権がある。国の民が知りえない知識を得ることができ、忠実な兵を操り、頭の悪い貴族たちでさえ見下ろすことができる。だが――。

老人の見開かれた目は暗闇を見つめ、怒りを露わにした体が震えだし、それに呼応するように手にした明りが揺れる。老人は欲望に満ちた醜い顔を一層歪め、ある男の顔を思い出した。

その男はライクという。初老の白髪で頬に小さな傷痕がある男で、老人のよき論争者であった。ライクは閉館した国立図書館に毎日のように残り、本を読みふけっては老人と討論をする。

ライクはアヴィスから南にある邪封の森に詳しかった。ライクはアヴィスの南西にあるログネスと、リーヌ河を挟みアヴィスの東西に位置するリストンブールの戦争のことをよく調べていた。ライク曰く邪封の森の伝承は間違っている。かの戦争は表立って出された情報とは異なり、もっと残忍なものだったのではないかと語る。

その通りだ。あの二国間の戦争は邪封の森をめぐる領土的要因が作用したものではない。あれは戦争兵器の威力を測るためのログネスの侵略。虐殺とも言えるだろうか。あの戦争でリストンブールとログネスの死者の数が一桁は異なる。

ログネスは戦争兵器として人に似せた人形を使った。その人形は精巧な人の形をしていたが、人間が負えば死ぬ傷を負っても死ぬことはなく動き続けた。人間はその人形の姿に恐怖を覚え、戦場には恐怖が伝染し、人々は戦意を失っていった。しかし、それは味方兵としても同様のことだった。生ける死体のような人形の姿に兵達は恐怖した。

戦争はログネスの圧勝で幕を閉じることとなったが、ログネスはリストンブールと平和条約を結び戦争を終わらせた。これは、ログネスが自分等の行いを悔いたことによるものだと思われる。

その後、この事実はログネスにより抹消されたが、当時この戦争に参加し、生き延びた者達が次々に自殺をするという奇怪な事件を起こした事は世に知られている。

だが、戦争の真実を知るものはほとんどいないことだろう。知っているのはアヴィスとログネスの支配者、それに私とライクぐらいのものだろう。そう、ライクはこの事実を知っている。ライクは決して読んではいけない禁断の書庫を持ち出し、それと共にこの国から消えた。どうやって秘密の部屋のことを知り中に入ったのかは定かではないが、知られたからには始末する必要がある。

老人は鋭利な刃物を思わせる奇怪な笑みを浮かべる。

そう、始末する必要がある。

 

翌朝、老人は光射す広い部屋の中で二人の男と対峙していた。一人の男は筋肉質で無骨な長身で、もう一人は愛想笑いを浮かべたひょろい男。二人は館兵と呼ばれる館長直属の兵士であり駒だった。館長の一言に命が握られている事実を知っている男達は、決して館長に背くこともなく、意見することもしない。館長に呼ばれることに恐怖を覚え、ただ死を覚悟してここへ来る。そんな日常を受け入れる男達にとって館長という神に等しい存在であった。

「お前達がなぜここに呼ばれたか分かるか?」

しんとした部屋に静かな声が響く。

「・・・・・・先日逃走したライクのことでしょうか」

「そうだ。あいつは先日このアヴィスの国立図書館の本を持ち出し逃走した。この国立図書館の本をだぞ? これは許される行為と思うか?」

二人の男に否定を意味する言葉の選択権はなかった。

「そうだ。許されることではない。それではどうすれいい? 簡単なことだ。あいつを見つけ、本を取り戻せばよい」

老人の目はいつしか正気が失われ、狂気を持ったものに摩り替わっていた。まるで魂を奪われ、狂気だけを与えられた人形のように、老人は剥き出しにした狂気を言葉に表す。

「わかるか? 本を取り戻せばよいのだ。あいつをどんな状態にしてもかまわん。だが、首だけは持ち帰って来い。猶予は三ヶ月与えよう。その刻を過ぎても帰らぬ場合は命がないものと思え」

ライクを殺さなければ二人は死に、そして次にまた同じように館兵が向けられるのだろう。結果が出なかれば続けられるループは、それ自体が死に直結するものだった。

二人は反論を許されず、老人からライクの似顔絵と本に関する資料を受け取ると早々に部屋を飛び出した。命が惜しければ死ぬ気で探さなければならない。これは言わば死をかけたゲームに等しい。

命は惜しい。ではどうすればいいだろうか。

二人は無言のまま歩きつづけた。片手に運命を左右する紙切れを握りながら。

index back
copyright 紙月 狐 [ namegh@hotmail.com ]