Story

#15 夜を照らす光

リアが眠りから覚めると、外が妙に騒がしく感じられた。ざわざわと騒がしいのは人が大勢集まって何かを話しているからだろうか。

何気なしに見た窓からは明るい光が差し込んでいた。ゆらゆらとせわしなく光るそれは、リアの影を壁に映し出して揺れる。

リアはその光に魅入られたようにぼうっと眺めていたが、慌しい足音に気がついて振り返った。

扉を開けたロゼが鬼の形相で部屋に転がり込み、リアを寝台の上に見つけて慌しく走り寄った。

「リア。外に出るんだ! ここは危険だ!」

リアは何が危険なんだろうと思った。

「火事だ! 町中が燃えている。早く逃げ出すんだ!」

ロゼは力いっぱいリアを引っ張った。眠気眼で木箱を抱いていたリアは木箱と一緒に部屋を連れ出される格好になった。

リアは頭が混乱して状況を理解できないでいたが、一階に辿り着くと部屋の温度が異常に暑いことに気がつき、恐怖に顔を引きつらせた。

微弱ではあるが炎が舞っていた。

炎は工房にある木材に燃え移り、赤が家の中を侵食していく。

工房の人形達は炎の中で舞い躍っていた。それは地獄絵のようにリアの目には映り、その地獄絵の中に赤い目の悪魔を見た。体中を炎に包まれた人形は無表情に虚空を見つめ、やがて重圧に耐えきれなくなり地面に倒れ、顔をあらぬ方向に曲げながらリアに手を伸ばす。その様子にリアは恐怖を覚え、脚をすくませた。

リアはロゼに引きずられるようにして走った。工房の人形達を見捨て、我が身を守る為に燃える扉を力任せに開いて外へ飛び出す。

外の世界は煌々と輝く光の世界となっていた。炎が家々に移り、所狭しと並んでいたそれらは炎の餌食となり火の海を広げる。

火花があちこちで舞い、すえた臭いが嗅覚を刺激し、聴覚を人の悲鳴が刺激する。崩れかけた家からは黒ずんだ物体が落ち、誰構わずと襲いかかった。炎が恐怖を煽り、恐怖が町を地獄に変える。

二人は火の壁に囲まれた細い路地を運任せに走っていた。落ちてくる瓦礫を避けつつ小さな破片を体に受けながら大通りを目指す。

もはや混乱状態に陥った人々に人を助けるほど余裕も無く、我先にと人の群れが逃げ惑う。

運良く瓦礫の下敷きにならなかった人々はやがて火の壁を通り抜け、炎に包まれた迷路の終着点に辿り着いた。家が途切れ炎が和らいだ大通りは、町の出口へ向かう人々で溢れていた。

何かを叫びながら走る人。我が子を探そうと大声を張り上げる人。恐怖におののいて地面に座り込んでいる人。それらの人々の悲痛な叫びが町を満たす。

悲痛な叫びはやがて悲鳴へと変わった。悲鳴は伝染し、人々の混乱は増していった。

悲鳴は町の出口から広がったものだった。人々は町の出口とは逆の方向に走り出した。二人は人々に揉まれるようにしてその流れにのって走った。町の出口に何があるかはわからないが、恐怖はそこからやってきたようだった。

手を引かれて走り、脚をもつれさせながらも、リアは妙に落ち着きを払っていた。

前を走るロゼの必死な顔、引きつった表情で走る人々を眺めながらぼんやりと思う。人はこんなにも弱い生物なのだと。ただ一つの恐怖に周りが見えなくなってしまう。あの時もそうだった。伝染病と言う恐怖が浸透して、我が身欲しさに情が薄れた。

炎も伝染病も同じなのだ。人を変えるには十分な要素を持つ。

暗い感情に俯いていたリアは、やがて目の前にあった足達の数が減少しているのに気がついた。忙しなく動いていた足達はやがて本数を減らし、最後には二本なった。

リアは俯いていた顔を徐々に上げ、足の持ち主の目指している場所を見つめる。

目を細めて見た場所は広場の中央であり、いつもなら涼しげに人の憩い場となっている噴水だった。

広場は十分に広く、その中央部は建物から離れている。背の高い建物はあまりなく、水が近くにあるため安全地帯と思えた。混乱している人達はそれに気がつかないのか、二人が噴水のそばに着いたときには誰もその場所にはいなかった。

ロゼはしばらく肩で息をしていたが、息が整ってくるとぼんやりとしているリアの方へ振り返った。その表情は勝ち誇ったような笑顔で、汗だくになっている顔からは一滴の汗が滴り落ちた。

「ここなら大丈夫だ。空が開けてるから煙も来ないし、炎も届かない」

「・・・・・・うん」

「こんなことになって言葉も出ないのかもしれないが、命あっての賜物だ。・・・・・・リアがくれた小物入れを一度も使えなかったのは惜しいが、義父さんって呼んでくれるようになったからよしとするか」

大きく息を吐き軽口を言うロゼの顔は笑顔で、リアはそれをただ見ていることしか出来ない。今になって足ががくがくと震え始めた。恐怖と言う隠し味が感覚を麻痺させていたようだった。

しばらく二人は無言で互いの手のぬくもりを感じていた。ロゼの手は恐怖に震え、熱さのせいか汗に濡れていたが、それが生きていることを感じさせてリアはほっとした。

落ち着いてきたせいかリアの震えもやがて去っていった。その頃には逃げ惑っていた人の群れも見えなくなり、町の混乱は人がいなくなったことで克服されていったかのように見えた。

しかし、それは悲鳴と共に回帰をはたした。

広場の入り口から聞こえてきた悲鳴は途中で何かにかき消され、新たな悲鳴が町に響いた。

リアが見上げたロゼの表情は険しく、握っていた手が痛いほど圧迫される。

正体のわからない悲鳴は断続的に聞こえていたが、やがて何人目かが餌食になった頃にぴたりと止まった。人は蜘蛛の子を散らすように四方八方に逃げ、やがて彼らは各々の方向へ消えていく。

二人は開けた視界の中に悪魔を見た。動かなくなった人間の胸倉を掴むそれは炎に照らし出され、動かなくなった人間に興味をなくし、ぞんざいに投げ捨てる。

次の獲物を探すように視線をめぐらせる悪魔は、二人の方へ顔を向けぴたりと全ての行動を停止した。そして遠目からでも確認できるほど口の端を歪ませると、ゆっくりと歩き出す。

赤紫に変色した服を炎で赤く染め、猫背気味に体をかがめた悪魔は獰猛な猛獣のように目をぎらつかせる。長い黒髪は顔にかかり、表情の一端を隠しながらゆらゆらと揺れる。全身に受けた返り血を喜んでいるかのように、悪魔はひたひたと血の足跡を地面につけていた。

リアはそれを見たとき嫌悪感と吐き気を催した。遠方から聞こえるはずのないひたひたという足音が耳に聞こえ、それが目の前のその存在を大きく見せる。

悪魔は二人の恐怖を見透かしたように狂気の笑みをたたえ、ふと立ち止まり顔を上げる。目を細めた悪魔は突然笑みを消し、口からか細い声で何かを呟いた。

二人は狂気に輝く赤い目に魅入られたように動くことが出来なくなった。赤い目が二人に同じものを思い出させ、目の前にいる赤い目の悪魔が炎で舞い踊った人形の生霊のように映る。

リアは言葉にならない悲鳴をあげた。

赤い目の悪魔は動かない二つの生き物を品定めし、ゆっくりと歩みだす。ぞろりと口から飛び出した舌が顔についた血を拭い取った。

「・・・・・・リア。逃げろ! 逃げるんだ、早く!」

ロゼが手を離してリアを庇うように立ち塞がった。

「早く!」

戸惑う視線はだんだんと距離をつめる赤い目の悪魔をとらえる。

「やだっ。義父さんも一緒に!」

リアはロゼの体に必死にしがみついた。最初は戸惑っていたロゼはリアの頭に手を置いて優しく微笑む。

「リアがここにいても足手まといになるだけだ。いくんだ。後から追いつく」

リアはその言葉を否定するように首を振る。胸の奥の不安がその言葉を否定するのだ。

「・・・・・・頼む。義父さんからのお願いだ。大丈夫。リアが幸せになったのを見届けるまでは死ねんよ」

涙で霞んだ視界で見上げると、ロゼはにっこり笑っている。こんなにも手が震えてるというのに・・・・・・。

リアはそっとロゼから離れ、涙を手の甲で拭いた。涙は止まりそうもないけれど、ロゼの足手まといになるのは嫌だった。いつだってそうならないように頑張ってきたのだ。

リアは後退すると、ロゼの顔がよく見えるように顔を上げ、出来る限りの笑顔を作った。

そして、背を向けて走り出す。一度も振り返ることは無かった。

copyright 紙月 狐 [ namegh@hotmail.com ]