#16 逃げ道のない逃走
リアは振り返ることなく力の限り走った。炎の壁に囲まれた道は真っ直ぐに伸び、道を進む意外に逃げ場はない。
時間の感覚が薄れ、一秒が一分のように感じられる中、リアは必死にロゼの無事を自分に言い聞かせる。ロゼの元へ戻りたい想いを抑えるために。
ロゼが死んでしまったのではないかと客観視する自分がいる。不安はそんな心の弱さに拍車をかけ、最悪の状況さえ想像させる。
涙はまだ止まりそうになかった。押し殺した自分の声が燃え盛る炎の音にかき消されていく。
リアは自分はこんなにも弱い人間だったのだろうかと思った。いつからこんなにも――。
息は絶え絶え絶えとなり、足はもつれ、幾度も転びそうになったかもう数えることさえ難しい。
ぼやけた視界に映るのは崩れかけた町と夜を照らす光のみ。生きている人間が見当たらないここは、本当に人が住んでいた町なのだろうか。
リアはそこまで考え、動かしっぱなしだった足を止めた。
疲労困憊な体が悲鳴をあげ、気を抜けばその場に倒れてしまいそうになる。
リアは乱れた息を整えることさえ忘れて、目の前に立ちふさがっているものを凝視した。
それは背丈がびっこな二つの影。
「やっと見つけた」
小さな男が歓喜のに声を上げた。
「もうくたばっちまったと思ったじゃねえか。俺らはつくづく運がいい。どうやら幸運の女神は俺たちに微笑んでいるようだ」
大きな男が無言で腰の獲物に手をかける。無表情は変わないが、目は氷のように冷ややかだった。
リアは目の前の状況についていけず、混乱した。あと少しで出口まで辿り着けるという焦燥が正しい判断を妨げる。
「お前の胸に抱いているものは、こんな状況でも持ち出すほど大切なものなんだよなあ? それが何か当ててやろうか?」
リアは指摘されて何を胸に抱いていたのか思い出した。ライクから預かった大切な本。こんな状況になってさえも自分はそれを抱いていたのだ。
リアは一歩後退した。
「逃げても無駄だぜ。今の状況で逃げようたってそうはいかねえよ。焼死体にでもなりたいって言うのなら、とめはしねえけどな」
シフォンの目が怪しく光る。
リアの体は逃げ道を失った恐怖に震え始める。今この場で本を投げ捨ててしまえば逃げてしまえるのだろうか。そんなことが頭をよぎるが、リアにはライクの本を手放す気にはなれなかった。託されたものを失なうわけにはいかないという、責任感が邪魔をする。命との天秤にかけるものではないはずなのに・・・・・・。
リアと二人の距離は縮まっていった。背中に感じた熱量に気がつき、危険を認知する。だが、そんなものは役にはたたない。
背後から何かが崩れ落ちる音が聞こえた。リアが見上げた視界は黒い物体を捕らえ、一瞬のうちに視界が真っ白になった。激痛ともにリアはその場にうずくまる。顔の一辺が熱い。
「幸運もここまでくると。むしろ悪運だな」
聞こえてくる声は妙にはっきりと耳に届いた。
「リック、そいつの持ってるものを取り上げろ」
リアの薄く開いた目は二人を写していなかった。涙でぼやけた視界は左だけだったが、そこに映ったものを確認するのは簡単だった。だから、それが見えたときには赤い目の悪魔が天使のようにさえ思えた。
考えるより先に体が動いていた。生きたいと言う衝動が体を動かし、迫っていた大きな手をすり抜けると、リアはシフォンに体当たりを食らわす。
不意をつかれたシフォンは体を地面に叩きつける。それと同時に受身を取れないリアは激痛に悲痛の声を上げ、満身創痍ながらも体を奮い立たせた。電気が体を走ったような激痛に耐えると、ゆらゆらと足を進める。
もう後ろを見ている余裕などなかった。生き残るために、体があげる悲鳴を無視する。
まだ正常に働いている聴覚には、二人の男の怒号が響く。
赤い目の悪魔が歓喜の声を上げ、悲鳴が誰もいない町に轟く。
ぼんやりとした意識の中でリアはほくそ笑んだ。私は生きることが出来る。
あとは何処まで自分の運が通じるのか。次の獲物は私なのだ。
逃げなくては・・・・・・。
生きなくちゃ・・・・・・。
何度も転び、また立ち上がる。
視界はだんだんと暗くなり、あれほど輝いていた炎の光は何処にも見当たらない。
見えない視界は何も映さない。
リアはぼんやりとした意識の中、浮遊感に体をとらわれた。
体の自由が利かない。
リアは成すすべなく落下していき、途切れる意識の片隅で、何かが水に落ちる音を聞いた気がした。