Story

#17 悪夢の目覚め

その世界は暗く、そして赤かった。

漆黒の闇に炎が揺れ、空の黒を赤い色で染めようと燃え上がる。

炎が揺れるたびに家々の影は揺らめき、人々が狂いながら舞い躍っているようにゆらゆらと揺れる。赤くなった地面を見下ろし、重なり合うように倒れた人々をあざ笑うように、いつまでも躍りつづける。

リアはその舞い躍る影の中で、一人ぽつんと立っていた。炎はリアを照らし、むあっとする空気が頬を撫ぜ、鉄臭が嗅覚を刺激する。

瞬きさえ許されない世界の中、リアは舞い躍る影の下、落ちてくる瓦礫を見ていた。それは炎に包まれ、リア目掛けて急速に加速しているようだった。それは数秒もたたずにリアの頭の上に落ちるだろう。そう理解しているのに、体が微動だにしない。赤い鎖に繋がれてしまったかのように体は重く、意識とは関係なく瓦礫が落ちてくるのを待っていた。

恐怖が体を包み込む。ぬるっとした恐怖が頬を撫ぜ、リアは思わず目瞑った。

瞑った瞼の裏は光のせいか赤く染まっていたが、今見ていた光景よりはずっとましだった。自分を潰そうとしている瓦礫から逃げる事も出来ず、ただ見つめる事しか出来ない自分。それに比べば・・・・・・。

だが、瞼の裏の世界への現実逃避は意味をなさなかった。瓦礫がリアを直撃した衝撃が体を打つ前に、突然瞼の裏に光景が浮かんだ。動かなくなり、あちこちをありえない方向にひん曲げた人の山が聳え立つ。地面はぬるっとした液体が地面を赤く染めており、時々苦しそうなうめき声が聴覚を刺激する。そんな非常な世界で、たった一つ動いているものがあった。それは重なり合うように作られた人の山の上に立ち、返り血を浴びた顔を酷く歪ませた人間。赤い目が恐怖に固まるリアを見下ろし、獲物を見つけた獣のように妖しい笑みを浮かべた。リアは戦慄を覚えた。今まで感じてきた恐怖など、恐怖ではないと悟った。

怖い・・・・・・。嫌だ・・・・・・。消えろ!

どんなに喚いてもそれは消えることはなかった。山になった死体の上から飛び降りてきたそれは、リアの肢体を掴み、地面へと叩きつける。鈍い音と共に鋭い痛みがリアを襲う。痛みに体をよじるが、朱の目の人間に押さえ付けられて、動けない。痛みに震え、恐怖に顔が引きつり、瞼をぎゅっと閉じようとしてはたと気が付く。今瞼を閉じている事に・・・・・・。

リアは瓦礫の恐怖を選んだ。今見ている光景よりも痛みを選ぼうとして、かっと目を見開く。見開いた瞳から歪んだ笑みを見せていたそれは消えた。そして、また世界が揺らいだ。

目の前に一人の人間が血溜りの上に倒れていた。白くなりかけた短く切った髪をも赤黒く染め、力なく倒れている。

それは知っている人物と酷似していて、リアは今までの恐怖も忘れて呆然と震える手を伸ばす。

長い時間をかけて近づいていった手は、倒れている人間に触れる瞬間強い力によって掴まれた。ぬるっとした嫌な感触が手を伝わり、思わず後退しようとして、尻餅をついた。

血溜りの中の人間は手だけを使って、リアの方へ近づき、顔を段々と上げて・・・・・・。

 

悲鳴と共に目が覚めた。悲痛な叫びが喉から飛び出し、耳を塞ごうとした手が顔に触れると激痛が走った。体は汗に濡れ、気持ち悪く、リアは今見た情景を思い出して、こみ上げてきたものをこらえることも出来ずに吐き出した。

布団が汚れるのも気にせず、暫く吐きつづけ、もう出すものも無くなってしまっても吐き気はおさまる気配はない。涙に濡れた目は焦点が合わず、今見た情景を目に焼き付けてしまったせいか、閉じる事さえままならない。

「大丈夫?」

その時、頭上から降ってきた声は何処か弾んでいた。

「気持ち悪いの?」

リアは背中を摩ってくれている人間に気がつき、呆然と見上げた。

そこには、黒い髪を顎のあたりで揃えた緑色の目の女性が立っていた。嬉しそうに微笑む女性は涙に濡れるリアの瞳をじっと見つめ、まるで動物でも観察するかのように視線を向けている。

「悪夢でも見た? 酷くうなされていたみたいだけど」

緑目の女性はリアを寝台にそっと寝かせ、汚れてしまった布団を丸めるように片付ける。

「・・・・・・ここは?」

突然現れた緑目の女性のせいか、落ち着きを取り戻してきたリアは声をかけた。喉に何かが突っかかっているような不快感を覚えながら出した声は掠れていて、注意深く聞いていないと聞き取れないほどか細かった。

「ここは邪封の森の中よ。本当はこの呼び方好きじゃないんだけど、こう言わないと分からないでしょう?」

緑目の女性はこの布団洗わないと駄目ねと呟いてから、リアの方へ向き直った。

「貴方はリーヌ河の辺に引っかかっていたのよ。何か河に流されるようなこと思い当たる?」

緑目の女性は可笑しそうに笑ってから、布を水で浸し、リアの体を拭き始める。冷たい布が肌を伝い、それと共にちりちりと肌が痛んだ。

「あちこち擦り傷だらけだし、打撲だらけだし、顔の半分は重症だしあんまり動かない方がいいわ。さっきの行動はちょっと無謀ね。今の貴方は動けば動くほど痛みが増すんだから、無理して動こうなんて思わない方がいいわよ」

「・・・・・・私は――」

「多分リストンブールの方から流されてきたんでしょう? 貴方を拾った前日に空が明るくなるのを見たわ。あれはきっと火事なんでしょうね。ここにいると外のことはあんまり分からないけれども、色々なものが流されてきてるし、人がいっぱい死んだみたい」

リアは緑目の女性の言葉の意味を理解するまで時間が掛かった。なにか不透明なフィルターが掛かってしまったかのように、思考は曖昧になっており、何かを思い出そうとすると頭がいやいやをするのだ。

「・・・・・・義父さん」

緑目の女性はリアの言葉に一瞬体を拭くのをやめたが、リアの言葉に続きがないのを確認すると、体を拭くのに戻った。緑目の女性の拭き方はどちらかと言うと乱暴粗雑で、一通り露出部分が拭き終わると、リアの服を引っぺがし、さらに体拭きを進める。

「貴方の怪我はいい方なのか、悪い方なのか判断が付かないけれども。死ぬよりはマシかもしれないわね」

「・・・・・・死・・・・・・ぬ?」

「さっきも言ったように色々なものが流れてきてたわ。その中には死体なんてものもあった。全く河に死体を投げ込むなんて何事かしらと思ったけれども、幾つも流れてきたから大体予想はついたわ」

緑目の女性はリアの事を全く気にする風もなく、見たままの感想を述べたと言った感じだった。

「その中で生きてたのは貴方だけね。こうして連れてきたのはいいけれども、3日も目覚めないんですもの。少々困っていたところよ。目を覚ましてくれてよかったわ」

「私は・・・・・・」

「助けて欲しくなかったのかしら? それならそう言ってくれれば、構わなかったかもしれないけれどね。こうして助けちゃったのも何かの縁だし、どうせだから生きて頂戴」

「・・・・・・私に。私に生きる意味なんて――」

「何があったかは知らないけれども、こうして生きている事に何か意味があるんじゃないかしら? それに貴方に生きて欲しいと思ってる人はいても、死んで欲しいと思っている人はいないんじゃない?」

リアの脳裏にロゼの姿が浮かんだ。あの時、リアを逃がすために残ったロゼはどうなったのか。

リアの目から大粒の涙がこぼれた。リアは声を押さえることも忘れて泣いた。

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copyright 紙月 狐 [ namegh@hotmail.com ]