Story

#03 絶たれた希望

リストンブールの城下町に入ると、リアは立ち止まって町を眺めた。

炎に追われて逃げた3年前と同じ道にリアは立っている。崩れ落ちた家々は建て替えられ、それらが立ち並ぶ道は、リアの記憶の中の情景とは何処か異なっていた。

「大きな町ね。何処から人があふれ出たか不思議なものだけど」

リンが町に入っての第一声がそれだった。

確かにリストンブールは大きな町だ。頑丈な城壁に囲まれ、何不自由なく人々が暮らしているように見える。だが、それもある一部の階級の人間だけであり、町の中でも下層に位置する人々の暮らしはあまり良いものとはいえないのが現状だった。

「町の中央を走ってる道だから人が多いのは当たり前」

リアはリンに返した言葉とは裏腹に、3年前に比べると人が少ないなと感じていた。歩いている人々にも何処か影のようなものがついて回っており、町の警備体制も厳しくなっているようだった。

「あまり歓迎はされていないようね」

リンが町の様子を観察しながら呟いた。

「そうだね。それに、町全体に黒いヴェールが掛かっているみたい」

リアにはその理由が分からないでもなかった。すでに3年の月日が経っているとはいえ、人々の記憶から薄れていくにはそれ相応の時間がかかるというものだ。今生きている人間が年老い、若い世代に代わり、それが幾度も重なってやっと記憶から薄らいでいく。あの災厄に巻き込まれた人間であれば、3年前の出来事も昨日のことのように思い出せることだろう。

2人は人々から浴びせられる奇異の目を無視して町を歩いた。相変わらずリンは物珍しそうに視線をせわしなく動かし、知らないものを見つけるといちいち説明を求めた。そのため、広場の噴水に辿り着くまでに相当な時間を催した。

「リン、少しは落ち着いたら?」

広場の露店や店を楽しそうに眺めているリンに向かって、リアが不満を漏らした。ここ数日間、リストンブールへ向かうために道を歩き続けたリアには疲労が溜まっており、すぐにでも宿を探して休みたい気分だった。問題としては、宿に泊まる資金が危ういということだが。

「それに、町は逃げたりしないよ? 嫌でも数日はこの町にいることになるんだし」

リアの声に耳も貸さず、リンは勝手に店の方へ駆け出していった。その様子は大道芸人を見つけた子供のようで、周りのものが見えていないというか、本当に子供のようだった。

リアはリンの事はしばらく放っておいて、噴水の縁に腰を下ろし、休憩する事にした。

背が伸びたせいか、噴水から見える風景は異なっている。

リアの記憶と変わらないものといえば、噴水の回りで不平を漏らしているご婦人や鳥に餌をあげているお爺さんくらいなものだろう。懐かしさも相まって、しばらく噴水の回りの風景を眺めていたが、リアは町の人々がリアの方をちらちらと見ながら小声で話をしているのに気がついた。

リアは顔の右側を覆っている布を少し引っ張ってから立ち上がると、あれこれと質問を投げかけ店の主人を困らせているリンの方へ歩いていった。そろそろ、潮時のようだ。

「リン、そろそろ移動しよう」

相変わらずリンはリアの声が耳の左から右へ素通りしている様子で、好奇心に忠実に従って行動をしていた。リアは少々考えてから、リンの手を掴んで歩き出した。

「・・・・・・ちょっと、リア。邪魔をしないで貰いたいわ?」

「リン、私たちはよそ者なの。それに町の人々の様子を見てなかったの? みんなぴりぴりしていて、私達が一つの場所に長居してる事はあんまりいい事では無いわ。今は問題を起こしたくないの」

リンは不満を漏らしていたが、リアはそれを無視する事にした。

 

2人が宿に落ち着いた頃には空が暗くなりかけていた。リアは宿がすぐに見つかるだろうと思っていたのだが、リアの記憶と建物の配置が異なっていたことと、持ち合わせの問題から宿を探すのに大分時間を食う事になった。

リアは部屋につくと質素なベッドに倒れるようにして寝転んだ。ベッドは見た目通りに硬く、寝心地はあまりいいとはいえない物だったけれど、野宿で地面に横たわるよりは大分ましだった。リアはそのまま寝てしまいたかったが、その前に片付けておきたい事があったので、睡魔に戦いを挑む事にした。

「極楽って顔に書いてあるわね」

リンが呆れたというニュアンスをこめた言葉をリアによこした。

「寝床があるってことがどんなに幸せかをかみ締めているところ。それと、これからどうすればいいか考えているところ」

「ふーん。まあ、いいけれど」

リンはリアと同じようにベッドに寝転んだ。

「私はもう少し町を楽しみたかったわ。リアに邪魔ばかりされて、あまり楽しめなかったし」

「・・・・・・リン、貴方は目立ちすぎるし、もう少し考えて行動した方がいいと思う。まあ、何を言っても無駄なんだろうけれど」

分かっているじゃないのとリンは妖しく微笑んだ。

「・・・・・・明日は別行動にしましょ。リンは私がいない方が楽しめるのでしょう?」

「そうね、リアは邪魔ばっかりするし、1人で町を歩いてみたいわ」

「じゃあ、決まりね。私も明日は1人でやりたいことがあるし・・・・・・」

リアは会話を早々に切り上げると、目を瞑った。目を瞑ると、先ほど歩いた町の風景や人々の様子が思い出された。格安の宿を探す為に入り組んだ路地に入り、リアが目にしたものは倒壊した家々と煤けた瓦礫の山だった。それらは路地を奥へと進めば進むほど酷いものとなり、人が住めるような場所ではなくなっていった。

リアの家が残っている事にあまり期待はしていなかったものの、それが絶望的だとわかると心にすとんと影が落ちたようだった。

 

気がつくと朝になっていた。

昨日は物思いにふけている間に眠ってしまったらしかった。

のびを一つしてから隣のベッドに目を向けると、すでにもぬけの殻だった。リンは朝早くから何処かへ出かけているらしい。

リアはのろのろと用意をして、質素な朝食を取ると宿を後にした。大事なものはもちろん持ってきている。町の宿だからといって、それが安全だとは限らないからだ。

宿を出るといい天気で、町を覆っている重い空気を吹き飛ばしてくれそうなくらいの青空だった。

リアは周囲を怪しくない程度に見渡してから、歩き出した。

瓦礫が地面を埋める場所を足場に注意しながら歩き、その町の様子を自分の胸に刻み付ける。廃墟には殆ど人の姿は見えないが、時折浮浪者とすれ違った。彼らは総じて暗い眼をしており、リアの方をちらりと見ると何やら口をもごもごと動かした。何を言っているのかわからないが、多分呪いの言葉なのだろうと思う。俺達がこんな生活をしているのにお前達は優雅に暮らしている。それが許せないと、彼らはリアに呟いているのだ。

「黒いヴェール・・・・・・か」

昨日自分が言った言葉が思い出された。その言葉はあながち間違いではなく、3年前の事件は貧しくも心優しかった人々の心にも黒いものを練りこんでいってしまった。

リアは周囲に十分に注意し、町の奥へ奥へと進んでいった。そのうち家の外形を殆ど保っていない本当の瓦礫の山となった。リアは自分の記憶と照らしあわせて、自分の家を探し、やがてそこへ辿り着いた。

その場所は瓦礫の一角であり、周りの瓦礫となんら変わらない黒くすすけた山だった。リアは雷に打たれたかのように全身に衝撃が走り、それが全身にくまなく行き渡るとその場へ座り込んだ。

何の原型も無い、何も残っていない、全てが失われた場所が目の前にある。リアは自分の体が汚れるのも気にせず、瓦礫を掘り返していった。素手で黒いものをつかみ、どかしてはまたつかむ。リアはその作業を飽きもせず続けていたが、手に鋭い痛みを感じてその動きを止めた。緩慢な動きで自分の手を見てみると、真っ黒な手の甲に赤い線が走り、血液がだらだらと流れているのが目に入った。血液はリアの指を伝い、地面へと落ちて瓦礫の黒へと吸収されて見えなくなっていった。

リアはその時、自分が何もかもを無くしたことを理解した。心の端の方にあった淡い希望は消え、ただ目の前の現実だけが突きつけられる。

リアの悲痛の声が大気を揺らした。

気がつくと陽は傾きかけていた。リアは力無く瓦礫に背を任せるようにして座っていた。あれからどれくらい涙を流していたのだろうか。体はだるく、体力は殆ど底をついている状態だった。

「現実は・・・・・・厳しいね」

リアはポツリと呟いた。その言葉は空中で霧散して、すぐに消えていった。

リアは一度目を瞑ると、小さな掛け声と共に起き上がった。先ほど怪我をした手の血液は固まっており、すでに出血はないようだったが、長時間外気と瓦礫の中に置いていたので消毒が必要かもしれなかった。リアは布で傷口を覆うと、瓦礫の山をちらりと見てから歩き出したが、突然に背後から掛けられた声に立ち止まった。

「お嬢さん、そんなに汚れた格好で何処へ行くんだい?」

それは若い男の声であった。

「見たところここら一帯の関係者と推測するんだが、違うかな?」

その声には邪気というものが無く、暖かく親しみが込められているような感じがした。

「もし、そうだったら?」

「そんな刺がある言い方をしなくてもいいだろう? 別に俺はお嬢さんをとって食おうってわけじゃないんだ。ただちょっとだけ話が出来たらと思ってさ」

リアは左の目で男の姿を眺めた。茶色の髪に整った顔。目には力があったが、それ以外は何処にでもいる何の変哲もない若者だった。

「さっきからずっとあの辺りを掘り返してたよね?」

リアは押し黙った。気が動転していた為か、人に見られえいるという可能性を考えていなかったのが甘かった。

「それはいいんだけどさ。それでこの辺りの関係者かなと思ってさ」

「・・・・・・確かに私はここに住んでいたけれど」

やっぱりだと言って若者は嬉しそうに笑った。その人懐っこい笑顔の中で目だけが妙に輝いて見えた。

「俺はお嬢さんのような人々を集めて活動しているんだ。今は詳しくはいえないけれど、興味があれば今からいう場所に夜になったらきてくれ」

若者は店の名前を告げ、俺の名前を言ってくれれば通じるからと言った。

「無理強いはしない」

若者はそれだけ言うと、リアの目を見つめてから立ち去っていった。

リアはその背中を見送りつつ、若者がしているという活動というものを考えてみたが、さっぱりと思いつかなかった。

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copyright 紙月 狐 [ namegh@hotmail.com ]