#05 地下室でのやり取り
露店でのやり取りに疲れ、眠りについたリアは、リンによって叩き起こされた。
突然の覚醒に驚き、上半身を起こしたリアの目に飛び込んできたのは、邪気のない笑顔だった。
リアはしばらくその笑顔を眺めてから、何事も無かったかのように布団に潜り込もうとしてたが、それが叶うことは無かった。
抵抗空しくリンによってベッドから引き剥がされたリアは、気がつけば賑やかな店内でグラスを傾けている客達をぼんやりと眺めていた。
リンは入り口から動く気配の無いリアの手を引くと、カウンターの席に座った。カウンターの席には若い男が1人座っており、リンは迷い無くその若い男の隣に座り、リンの隣にリアを座らせた。
「どうやら僕の呼びかけに応えてくれたようだね」
若い男は力のこもった目を2人に向け、嬉しそうに笑った。
リアは話しかけてきた男をちらりと見て、それが見知った顔であることに眉を潜めた。
「そういえば、自己紹介がまだったね。僕はロウと言う」
ロウが手を差し出したが、2人ともその手を握らなかった。リンは楽しげに、リアは胡散臭そうにその手を見た。ロウは2人の様子にわざとらしく肩をすくめてから、グラスを傾けた。
「ここに来たって事は話を聞きにきたんだろう?」
ロウは一瞬目を細めてから、人のよさそうな笑顔を見せた。
「面白い話が聞けるって耳にしたのだけど」
「面白いかどうかは、君ら次第だな。それと、この店から無事に出られるかも君ら次第・・・・・・かな」
ロウがグラスを置くと、店がしんと静まり返った。先ほどの賑やかな雰囲気は消え、店内を空気が張り詰める。
リアは背中に数多の敵意を感じながら、気がつかれぬように腰のナイフに手をかけた。
「私たちを脅そうって言うのかしら?」
リンはナイフを悪びれもなく取り出し、その刃を愛おしそうに撫でた。
ロウはリンの様子を盗み見ると、わざとらしい笑みを顔に貼り付けた。
「いえいえ。滅相も無い。とりあえず、君らを歓迎するよ」
ロウが立ち上がると店は賑やかさを取り戻した。
「話を聞きにきたのだろう? それなら僕と一緒に来るといい。今から会合が始まるところだからね」
リアはロウの目を見つめ返し、ふうっと息を吐くと席を立った。
ロウが2人を案内したのは、店の地下室だった。
蝋燭の火に照らされた薄暗い階段を下りた先には、冷やりとした石に囲まれた部屋があり、その部屋には数十人の男女がいた。彼らは階段を降りてきた3人を注視し、リアとリンの顔を見つけると目を細めた。
「全員そろっているようだね」
ロウは部屋の奥まで歩むと部屋の中を見渡した。ロウは彼らの顔を確認するようにゆっくりと視線を移動し、最後にそばに寄ってきた髪の短い女性へ目を向けた。髪の短い女性はロウの視線に頷いてから、敵を見るような目でリアとリンを睨んだ。どうやら、歓迎されていないらしい。
リアはその髪の短い女性に見覚えがあった。それは露店を開いている時に見たロウと連れ立って人ごみに消えていった女性であった。
「まず皆に紹介しなくてはならない。彼女達は僕が新たに見つけた、炎の日の生き残りだ」
部屋の入り口に立つリアとリンを、数十の目が捕らえた。その目には光が無く、2人を通じて何処か遠くを見ているようだった。
「こいつら役に立つの?」
髪の短い女性が敵意を隠しもせずに吐き捨てた。
「人が多いに越したことは無い。まあ、彼女らが僕らの仲間になるかは、話次第ってところだけどね」
ロウは髪の短い女性をなだめてから、一歩踏み出した。
部屋がしんと静まるのを待ってから、ロウは言葉を紡いだ。
「――諸君。時は来た」
ロウの自信に満ちた声が、地下室の中で木霊する。
「我らは明日を掴むために戦わなくてはならない! 我らは自らの手で幸せを取り戻さなくてはならない! 奴らの横暴を許してはならない!」
地下室に怒号が響く。奴らを倒せと言う声が重なり合い、地下室を満たす。
「炎に焼かれた町で奴らは僕らに何をしくれた? 何もしてくれなかった! 見捨てた! 汚物が消えてよかったとほくそ笑んだ! 生きることさえままならない僕らに対して奴らはどうだ? 豪勢な食事にありつき、温かな部屋でのうのうと暮らしている! これが許せるか!?」
再び地下室を怒号が満たした。数十人の怒りが、空気を揺るがす。
リアはそんな彼らを見ながら考えていた。奴らとは貴族のことを指し、怒りに燃える彼らはピラミッドの底辺に落ちた人間達だという事を。
町が炎に焼かれたことで、貧富の差は更に大きくなった。一筋の光にすがるように生きてきた人間達の微かな幸せを炎が奪い去って行った。だが、貴族は町で起こった事など気にする風も無く、安全で暖かな家でのうのうと暮らしている。彼らにはそれが許せなかった・・・・・・。
リアにも彼らの気持ちは良くわかった。かつてこの町で同じように暮らしていたリアにとって分かる痛みだった。だけど・・・・・・。
「つまり、貴方達は暴動を起こそうって言うのね?」
リンの冷ややかな声に部屋はしんと静まり返った。
「確かに面白い話ね。見ている方は」
「・・・・・・何が言いたい?」
髪の短い女性がリンを睨みつけた。
「成功する確率なんてほとんど無いわよね? それでも貴方達は暴動を起こそうとしている。それはどうしてかしら?」
髪の短い女性が口を開こうとするのを制して、ロウが応えた。
「僕らは自分達を犠牲にしてでも、この町を変えたい。そして、先の見えない真っ暗な未来に震える人達を救いたい。そう思ってるからこそ、行動に出るのさ」
「本当に?」
「・・・・・・神に誓う」
「神に誓う・・・・・・ね」
リンはにっこり笑った。
「残念だけど、私達にはやるべきことがあるの。貴方達の茶番に付き合ってられないわ」
「茶番ですって!?」
「違うの? たったこれだけの人数でどうしようって言うのかしら? それに・・・・・・」
リンはちらっと、天井に目を向けた。
「まあ、いいわ。私達には無関係なことよ」
「言わせておけば!」
吼えるように吐き捨てた髪の短い女性をロウが制した。
「つまり、君らはここから去っていこうというのだな?」
「ええ、無傷でね」
ロウは考えるような様子を見せてから、髪の短い女性をちらりと見た。
「私達が貴方達のことを公言しないか心配しているのかしら? そんなことしないわよ。厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだもの」
「信じられないね」
「じゃあ、どうすれば信じてくれるのかしら?」
リンはロウと髪の短い女性を見比べて、冷笑を浮かべた。
「そうだな、事を起こすまで監視でもさせてもらおうか」
リアはリンとロウがアイコンタクトを取るのを見ていてが、それがどのような意味があるのかまでは分からなかった。
「監視、ね。誰に監視させようというのかしら?」
「ローザだ」
「ちょっと待って、ロウ!」
ローザと呼ばれた髪の短い女性がヒステリックに叫んだ。
「私はそんなことをする為にここにいるんじゃない!」
「ローザ、これは大切なことなんだ。わかるね?」
ローザはロウを睨んだが、ロウの顔から笑みが消えてるのを見て目をそらした。
「これはお前にしか頼めないことなんだ」
ローザは押し黙って、リンを睨んだ。リンは涼しげな顔で、ローザの怒りは受け止めると、にんまりと口を歪ませた。
「別に私達は誰だって構わないのよ? そのこの嬢ちゃんが役に立たないというなら別の人だって」
「――貴様」
ローザは怒りに顔を真っ赤にして、敵を威嚇する野犬のような形相でリアを睨んだ。リアはそんな目で見られてもなあと思いながら、ローザの怒りの現況であるリンに目配せをした。
「リーダーの命令に背く人間がいるなんて、統制が取れていないのね」
リアは頭が痛くなってきて、天井を仰いだ。
ローザは怒りに拳を震わせたが、突如に地下室の壁を殴りつけてから溜まった息を吐き出した。その様子を見て健気ねえとリンがリアに耳打ちすると、ローザはぎろりとリアを睨んだ。リアは肩をすくめると、わざとらしくため息をついた。ため息にはとばっちりはごめんだという意思表示が含まれていたが、ローザにはそれが伝わらなかったようだった。
「こいつらを見張ってればいいのね」
ローザは怒りに体を震わせながら、それだけを吐き捨てると階段を上っていった。
その足音が聞こえなくなるのを確認してから、ロウはリンに向き直った。
「あれが迷惑かけるかもしれないが、頼んだよ」
「大丈夫よ。怒りが爆発しないぎりぎりを狙うことにするから」
リンが意地悪そうに笑うと、ロウは苦笑した。