#08 焦燥
リンはナイフを鞘から出して光にかざしたり、刃に舌を這わせる真似をしてローザを怖がらせたりと、ご満悦だった。リアがそんな様子のリンを見たのは、リンがはじめて人形を完成させた時以来だった。
リンは今でも初めて作った人形を持ち歩いている。白いひげを生やした老人がモチーフの人形は、手に乗る位の大きさだった。リンはその人形を時折眺めては、懐かしそうに目を細めている。リンが見つめる眼差しは、人形ではなくその人形のモチーフになった老人に向けられているものだと、リアは思っている。リンの過去は良く分からないが、きっとその老人はリンと深い関係にある人物なのだろう。
「人のことじろじろ見て、嫌な感じね」
ベッドに腰掛けていたリアは、隣に座っているリンを見つめていたことに気が付いた。
「別に、なんでもないよ。そのナイフ気に入ったみたいね?」
リンは目をぱちくりさせてから、にんまりと口の端を伸ばした。
「私の持っているナイフの中で一番綺麗だもの。早く何か斬ってみたいわね。きっと心地よい感触ですっぱりと斬れることでしょう」
「またそんな事言って。ローザが怖がるでしょう?」
ローザは布団を頭の上から被って震えていた。
新しいナイフを持ってからのリンの嫌がらせはエスカレートし、ローザは持ち前の気の強さを発揮してあしらっていたものの、途中から顔色が青くかわり、今ではこの通りである。
「私は慣れているからいいけれど、慣れてない人にするのは可愛そうよ」
「ふーん、リアにならいいんだ」
リンは前触れも無くリアをベッドに押し倒す。
「……出来ればやめて欲しいけれど、リンは人の言うこと聞かないでしょう?」
リアがリンを見つめながら言うと、リンはリアを放して立ち上がった。
「あーあ、つまらないの。玩具が一つ出来上がっちゃった」
そういって、ローザが震えているベッドの布団の中に潜り込む。一瞬の沈黙の後、ローザが猫のような俊敏な動作で、リアが押し倒されたベッドへ飛び込んできた。
「痛い……」
ローザの体当たりにリアが声を上げるが、ローザはリアの非難の声には何の反応も示さず、リアの腕にしがみつくと、ふるふると振るえた。
リアはローザをちらりと見てから、リンに啖呵を切っていた頃の威勢は何処にいったのかと思った。確かにナイフを持って恍惚な表情を浮かべながら迫ってくる人型にまとまりつかれれば、身が凍える恐怖を味わうことが出来るのかもしれないが。
それにしてもとリアは思う。暴動を起こそうとしている集団に属しているにも関わらず、ローザは何処か異質だ。2人を見張っている姿勢からは使命感を読み取れるが、それ以外には何も無い。そして、脆い。暴動に参加できるような強い精神は持ち合わせていない、弱い女性。
「ローザ、貴方は何であの集団に属してるの?」
リアの問いかけにローザの震えがぴたりと止んだ。
「どうしてそんなことを聞く?」
「別に、興味本位。ローザと一緒に過ごしてみて、ローザは暴動を起こせるような人間じゃないと思ったから」
「私が、何だと?」
「ローザ、貴方は本当は暴動なんてどうでもいいんじゃないの?」
ローザが息を呑んだ。
「貴方はロウって人の――」
「違う! 私は私の意志で参加している! ロウは関係ない!」
ローザの剣幕に押され、リアは口を閉ざした。ローザはそんなリアを一瞥してから、気まずくなって視線を窓へ移し、固まった。
口元を押さえ、顔色を青くしていくローザを見て、リアはローザと同様に窓へ視線を移した。
窓の外には闇、そして舞い上がる白煙と町の一点で揺らめく光。
「ロウっ!?」
ローザが駆ける。
リアはローザの背中が見えなくなるまで、ぼんやりと見送った。そして、白煙と光がリアの脳裏に炎の日の記憶を蘇えさせる。
リアが幻想の中へ引き込まれる瞬間、リアの頬に痛みが走った。痛みのおかげで、我に返ったリアが見たのは、怒りを露にしたリンだった。リアはぼんやりとした視界でリンを見上げながら、リンが怒るのは珍しいなと思った。リンが怒ったのは、リアが邪封の森の家を出ると言った時と合わせて2回目だ。
「ぼんやりしている場合? ローザを追うんでしょ?」
リアの話を遮った時のローザの剣幕が、リアの脳裏に浮かぶ。
リアはベッドから飛び降りると、全力で駆けた。リンはその後に続き、リアに気がつかれないように安堵の吐息をついた。