Story

#09 現実

夜の街はざわめきと混乱に満ちていた。

黒い空にもうもうと上がる白煙は、目的地へ近づくにつれ強くなっていき、人の数も増えていった。

ローザは息が絶え絶えになりながらも人の群れをかき分け、リアとリンの前を進む。

「ねえ、リン――」

「リアが想像している通りよ。ローザはそれに気がついたから、必死なんでしょう」

リンはいつもの調子に戻っていて、薄ら笑いを浮かべていた。

リンがそれきり口を閉ざすと、リアはローザの背中を見つめた。ローザの姿が炎の日のリアと重なり、胸が締め付けられるように痛い。ローザは大切な誰かを守るために走っている。そう思うと、心が苦しかった。ローザの行動に心がぐらつく。

リンがリアの頭を叩いた。

突然のことにリアが目を白黒させてからリンを見ると、リンは口元をへの字にしていた。

「リア、貴方は馬鹿じゃないの? 詳しいことは知らないけれど、どうせローザと自分を重ねて心を沈ませているのでしょう? そんなことして楽しい?」

何も言い返せないリアに、リンは苛立ちを隠しもせず、もう一度リアの頭を叩いた。

「過去の想いに縛られてばかりいるなんて馬鹿よ。もう過ぎたことは仕方ないことだもの。それを糧にして、今を生きなさい!」

さっさと先を進んでいくリンを見ながら、リンなりに心配してくれたのだとリアは気がついた。

「今を生きろ、か」

かたりと音が鳴って心で何かが外れた音がした。

リアは自分の頬を叩くと、前を進む2人に続いた。

目的地へ着くと店の前には人だかりが出来ており、その中心には捕まった人間達が縄をかけられ、兵士達に見張られていた。捕まった人間達の中には見覚えのある顔が複数あり、それらの人間が地下室で会合に参加していたことに思い当たるのには、時間を要さなかった。

ローザは口元を手で押さえ、驚きのあまり固まったが、直ぐに我に返って目をせわしなく動かした。

リアは煙突から吐き出される白煙をちらりと見てから、捕まった人間達を注意深く観察した。顔を伏せて悔しがる人、絶望のあまり表情をなくした人、怒りを露にして叫ぶ人。だが、その中にロウの姿は見当たらなかった。

店内は騒がしく、兵士達が出入りしているのが見て取れた。もしかしたら、まだ店内で抵抗をしている人間がいるのかもしれない。

「時間稼ぎね」

リンが呟いた。

ローザは沈黙をリンに返すと、捕まった人間達に目を向けた。ローザはしばらくそうしてから、瞳を閉じた。リアはその姿を見て、まるで黙祷でもしているようだと思った。静かに、何かを祈るようなローザの表情は悲しみと決意に満ちていた。

「皆、ごめん」

ローザは人の群れに隠れるようにして移動して、店から少し離れた場所にある狭い通路に入った。通路は人が1人やっと通れるくらいの狭さで、その奥は暗闇のせいで何も分からない。

ローザはそれでも躊躇することなく走った。幾度か曲がり、奥へ奥へと走っていく。

「血の臭いがするわ」

「怪我した誰かがこの道を通ったって事?」

リンはリアの問いに応えず、黙して走り続けた。

リアが辿ってきた道が分からなくなった頃、ローザが足を止めた。

ローザは辺りを見渡すような仕草をしてから、通路に面した扉を2回叩いた。数秒ほどの沈黙の後、壁の向こうから男の声が聞こえてきた。

「彼らに」

「裁きを」

「我らに」

「栄光を」

「炎の日に」

「鎮魂を」

ローザと男の短いやり取りの後、扉が静かに開いて男が顔を覗かせた。男は周囲を確認してから、3人を家の中へと招きいれた。

家の中は薄暗く、蝋燭の明かりが微かに照らしていた。

男に案内されるまま進んだ先に、部屋があった。石で出来た壁に囲まれた部屋で、その部屋はリアとリンがロウに連れて行かれた地下室に似ていた。部屋の奥には数人の男が蝋燭の火に照らされて壁に影を作り、その中心には壁にもたれかかるようにして座っている男がいた。

「ロウ、無事だったのね!」

ローザが歓喜の声を上げてロウに近づき、ロウの腹部に手が触れて顔をしかめた。ローザが恐る恐る見たロウの腹部には布が巻かれており、その布には赤い染みが広がっていた。

ロウはうめき声を上げると、薄く開いた目で3人の姿を確認した。

「やあ、見苦しい姿を見せてしまってすまないね」

ロウは咳き込むと、口から血を吐き出した。

「まったくね。見張られていた事を忠告してあげたのに、手際が悪いわね」

まったくだと言うと、ロウは力なく笑った。

「お医者様を!」

ローザの声にロウは首を振った。

「無駄だよ。もう僕は助からない」

「そんな、そんなこと――」

「血を出しすぎた。それに、僕はこの場所から動く事ができない。僕が一緒に行けば足手まといになるだけだ」

ロウはふうっと息をついた。

「それに、ここが見つかるのも時間の問題だろう。血の跡と臭いは消す事ができない」

「嫌、嫌よっ!」

ロウは自分の血がついた手で、ローザの涙に濡れた頬をなでた。

「君には済まないと思っている」

ロウがリンをちらりと見る。リンが頷くのを確認すると、ロウは瞳を閉じた。

「そして、先に謝っておく。ごめん」

ロウの言葉が終わると同時にローザの体が地面へ崩れ落ちた。

「これでいいのね?」

ローザを地面に横たえさせながらリンが尋ねると、ロウは薄く笑ってから頷いた。

「君には世話をかけたね」

「謝ってばかりね」

まったくだなとロウは呟いた。

「それで、何があったの?」

「見ての通りさ。兵士達が店に押しかけてきて、あの有様だ。そして僕は逃げる途中で腹部を刺された。たった、それだけの事さ」

ロウは横たわるローザの顔を見つめながら、満足そうに笑った。

「やっぱり君達にローザを任せたのは正解だったようだね」

「ローザは不満だったみたいよ?」

「巻き込みたくなかった。ローザは暴動に参加できるような子じゃない。優しくて、自分を表現するのが下手で、気が弱い何処にでもいる子だ」

「エゴね」

「何とでも言ってくれて構わない。これは僕達の意思だ」

「残された者の気持ちを考えていないとしか思えない発言よね。私にはローザがどんな決断をしようが、とめる事は出来ないわよ?」

「君らにそこまで求めようというのは、都合が良すぎるというものだろう。それに、僕らにはローザが幸せになる道を進んでくれる事を祈ることしかできない」

「まるで、全てが終わってしまったみたいな言い方ね。真っ暗な未来に震える人達を助けたいと言っていたときの、目の輝きは何処へ行ったのかしら? それともあれは嘘?」

「手厳しいね。君がもっと前から居てくれたら道は違っていたかもしれない」

ロウは焦点が合わなくなった目でリンを見つめた。

「恥を承知で頼みたい事がある」

「ローザの事かしら? いいわよ、明日まででいいならだけど」

リンはロウの手に一度触れてからローザを担ぐと、出口へ向かって歩き出した。

リンが部屋から居なくなると、リアはロウに話しかけた。

「私は貴方という人が居た事を覚えています。他の人達が忘れてしまっても、私は覚えています」

「……ありがとう」

ロウが黙すると、リアはその場を去った。

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copyright 紙月 狐 [ namegh@hotmail.com ]